書名 | 単著・共著 | 年月 | 発行所、発表雑誌 (及び巻・号数)等の名称 | 編者・著者(共著の場合のみ) | 該当ページ数 | 概要 |
「蓮如上人における浄土」 | 単著 | 1997年06月 | 龍谷教学会議『龍谷教学』第32号 | | pp.20~32 | 蓮如は親鸞教義を平易に、そして正確に布教伝道することによって本願寺中興をなした。その教義解釈は覚如、存覚の教説を承けた信心正因・称名報恩を真宗の正義としつつ、当時の浄土異流や宗門内でみられた異安心や異義を批判する形で展開された。一方で波乱に満ちた生涯における経験は、『御文章』をはじめその著に色濃く反映されているといえよう。特に往生浄土に関する記載には人間性が表出しており、その信仰心を窺い知る貴重な文言を見ることができる。本稿ではその特質を考察したい。(査読有り) |
「親鸞聖人の名号観について―鎮西・西山両上人の名号観との検討―」 | 単著 | 1998年01月 | 『龍谷大学大学院研究紀要』第19集 | | pp.1~14 | 法然の念仏往生義の受容の形態は、法然門下における教義の独自性の一つであり、名号観にはその特質が特に顕著となる。鎌倉浄土教において鎮西義、西山義、真宗義のそれぞれの名号観を窺うことで、親鸞の明らかにした絶対他力の救済法の根拠となる、全徳施名の名号の特質を考察したい。(査読有り) |
「大行論の研究」 | 単著 | 1998年03月 | 浄土真宗教学研究所『教学研究所紀要』第6号 | | pp.293~310 | 浄土真宗における教行証の三法の枠組みは特徴的である。特に阿弥陀仏による他力回向を主軸とする大行の明示は、親鸞教義の根幹をなす救済根拠の構造を明らかにするものである。『教行信証』行文類では七高僧の引文が揃い、他師の引文も多く、綿密な引用が施されている。本稿では行文類における親鸞の引用の意図を窺い、さらに称名と名号の解釈を中心に検討し、浄土真宗における大行について考察する。 |
「鎌倉浄土教における名号について―親鸞聖人を中心として―」 | 単著 | 1998年03月 | 日本印度学仏教学会『印度学仏教学研究』第46巻 | | pp.192~194 | 鎌倉浄土教において法然門流の展開を担った主流のなかに親鸞の名が挙がるのは、法然滅後166年成立の『法水分流記』である。その中心は弁長による鎮西義と証空による西山義において、特に対照的に独自性が発揮されたといえよう。法然教義の根幹をなす念仏往生義においては本願観、念仏観、菩提心観などいくつかの重要な問題があるが、本稿では特に名号観について、鎮西義、西山義と比較検討した上で、親鸞教義の特質を考察したい。(査読有り) |
「浄土真宗における宗教教育について」 | 単著 | 1998年03月 | 日本宗教学会『宗教研究』第71巻 | | pp.286~287 | 浄土真宗における宗教教育は、学校教育において制限される宗教教育を補う重要な役割を果たしうるのではないだろうか。宗教は人間形成をめざす教育の場に重要な役割をもちながら、信教の自由、政教分離、宗教上の中立など慎重が期される宗教教育において、社会・地域・家庭の構成員としての自覚を促す宗教心の涵養がどのような意味を持つのか考えたい。特に浄土真宗の寺院における宗教教育は、宗祖親鸞の教化態度を軸に積み重ねられてきた。その特質と意義を明らかにしたい。(査読有り) |
「宗教教育の研究」 | 単著 | 1999年03月 | 浄土真宗教学研究所『教学研究所紀要』第7号 | | pp.335~348 | 人間形成をめざすという重要な意義をもつ「教育」において、宗教による心の教育、宗教教育は非常に重要な役割がある。宗教教育には宗派教育と宗教的情操教育の二つ立場が考えられるが、いずれの場合も学校教育におけるこれまでの経緯を踏まえ、さまざまな否定的な見解を丁寧に検討する必要がある。本稿では浄土真宗において担ってきたその役割から、宗教教育の活動の可能性と意義について考察する。 |
「親鸞聖人の和讃撰述の背景―和讃の撰述と『正像末和讃』の意義―」 | 単著 | 2000年03月 | 日本宗教学会『宗教研究』第73巻 | | pp.256~257 | 親鸞の和讃の中、『浄土和讃』『高僧和讃』の執筆と『正像末和讃』の執筆の間の十数年には、他の多くの和語聖教が著されている。他の和語聖教と異なり独自の形式をもつ和讃において、特に、①「~せよ」「~すべし」と命令形で結ばれること、②右訓・左訓・圏発があり門弟に配布されていること、などを中心に、和讃の添書を検討し、また和讃撰述の時代背景を考慮しながら、親鸞の和讃撰述についてその特徴を考察する。(査読有り) |
「親鸞聖人における名号観の背景―『唯信鈔』と『唯信鈔文意』の意義―」 | 単著 | 2000年03月 | 日本印度学仏教学会『印度学仏教学研究』第48巻 | | pp.145~148 | 親鸞の名号観の背景としての唯信独達の法義は、法然の念仏往生義から打ち出されるにあたり聖覚、隆寛二師にその証権を見出している。両師の著に対する注釈書『唯信鈔文意』『一念多念文意』の、それぞれの引用文がまさにそれに当たる。本稿では『唯信鈔』と『唯信鈔文意』の引用に関する考察を通して、親鸞が『唯信鈔』を機縁として法然の選択本願の念仏往生義をより明瞭ならしめたことを窺いたい。(査読有り) |
「現生正定聚の一考察」 | 単著 | 2000年03月 | 永田文昌堂『山田明爾教授還暦記念論集 世界文化と仏教』 | | pp.437~452 | 真実信心を得れば現生に必ず正定聚の位に入るとするのが浄土真宗教義の欠かせない特徴でありながら、死後の往生を重視する現実逃避の教えと一般に誤解されるのは何故であろうか。法然教義の継承において法然門下はそれぞれにその特徴を明らかにしようと教義の展開を試みるわけだが、親鸞においては『教行信証』証文類において第十一願に言及しながら、願文に出る「正定聚」については、信文類において第十八願とともに明示していくのである。本稿ではその特徴を考察したい。 |
「親鸞聖人における名号観の背景―『唯信鈔』と聖覚法印の意義―」 | 単著 | 2002年03月 | 浄土真宗本願寺派宗学院『宗学院論集』第74号 | | pp.80~94 | 親鸞の名号観は『教行信証』行文類の称名破満、六字釈などにその特徴を窺える通り、『論註』と『観経疏』の影響が特に大きいものである。その根底にある、第十八願念仏往生の論拠としての第十七願名号成就という関係は、法然の『選択集』には見られないものであり、第十七願と第十八願の関係から本願を解釈する聖覚の『唯信鈔』の教説が非常に重要であったことがわかる。本稿では親鸞における『唯信鈔』と聖覚の意義を検討して、親鸞の名号観形成の一端を窺いたい。(査読有り) |
「親鸞聖人における『唯信鈔』の意義―和語聖教撰述の姿勢について―」 | 単著 | 2004年03月 | 『中央仏教学院紀要』
第15号 | | pp.35~50 | 親鸞の和語聖教は、浄土真宗の教義体系を網羅した『選択本願念仏集』『顕浄土真実教行証文類』を前提に、その指南書としての役割があるといえる。各和語聖教には顕そうとする論点・方法がそれぞれにあり、親鸞の撰述意図を踏まえて読む必要がある。この小論では、聖覚選『唯信鈔』を通して、親鸞の和語聖教撰述の姿勢について考察し、当時の念仏者における異義や、唱導家ならではの譬喩など、親鸞の著述に与えた影響も含め検討する。 |
「御消息に明らかにされる念仏者の利益―『末灯鈔』第七通と現生十益―」 | 単著 | 2007年03月 | 『中央仏教学院紀要』
第18号 | | pp.52~68 | 親鸞の書簡は、他の著述と異なり、門弟の疑問と親鸞の教化の特徴の両面を知ることができるものである。『末灯鈔』第七通は、「如来とひとし」「現生正定聚」などの浄土真宗の利益に関する記述が見られるもので、念仏者における救いとしての現生の利益についての親鸞の返答が示されている。この小論では、質問状の内容とそれに対する返事を検討することを通して、聖人の伝道・教化の意図を窺い、現生十益を念頭に念仏者の利益について考察する。 |
「『末灯鈔』第十四通における伝道教化―親鸞聖人の加筆訂正の意図について―」 | 単著 | 2011年07月 | 『日本浄土教の諸問題』 | | pp.351~377 | 親鸞は和語の書を撰述し、門弟への教化伝道を行っているが、多数の書簡においても疑問や受けとめ方に対する問いに答えている。そのなか『末灯鈔』第十四通は、門弟の質問状に直接加筆訂正を施した特異な形態をとどめている。訂正の前後を検討することにより、教義の疑問と注意を要する表現など、重要事項を知ることができる。この小論では、加筆訂正箇所を検討することを通して、聖人の伝道・教化の意図を窺う。 |
「浄土真宗における聖典の歴史と意義」 | 単著 | 2015年05月 | 相愛大学総合研究センター「学びの近代史」 | | pp.91~101 | 「聖典」とは教団における基本的な教理教条を記す書物として最も尊重され、ある種の権威付けが行われるとともに、教団の軸として受け継がれる性格を有する。西本願寺では教団の「近代化」において非常にスムーズな行政改革を成し遂げたが、その折、教団の軸としての「聖典」はどのように位置づけられたのであろうか。本稿では「近代化」において「聖典」がどのような役割を持っていたのか、浄土真宗における聖典の歴史と意義について考察する。 |
「蓮如〈御文章〉における教義的特性と背景」 | 単著 | 2022年03月 | 相愛大学人文学部人文学研究会『人文学研究』第7号 | | pp.26~50 | 本願寺中興の祖である蓮如の伝道教化の特徴を、その著「御文章」に見られる表現、活動の時代的地域的背景、浄土教諸派の動向とのかかわりなどから検討する。衰退の途にあった本願寺宗主を継職し、「御文章」という文書伝道を教化活動の中心に据えて親鸞教義の宣揚に努めた蓮如の意図を、浄土宗鎮西派・浄土宗西山派・時宗や真宗諸派の教義的動向を踏まえて考察する。 |
「蓮如の伝道方法の変遷 ―「御文章」撰述の背景―」 | 単著 | 2023年03月 | 相愛大学総合研究センター『相愛大学 研究論集』第39号(予定) | | | 蓮如の伝道教化は浄土異流や真宗他派の教義との混同に留意しながら、農村における念仏者の信仰状況に鑑み、どのような立場の門徒にも領解されるように心を配って書かれた「御文章」によって行われた。その伝道方法は、在家の生活のなかで救いを喜ぶ妙好人を育て、現在まで続く真宗教義の要を平易な言葉で記すなど、念仏者の心底に届く卓越した布教伝道であった。蓮如は真宗教義の受けとめ方においてどのような注意が必要であると考え、「御文章」によってどのように教えを広めたのか、蓮如の伝道方法の特徴と変遷を、特に宗主継職の前後の経緯に注目しながら検討し、「御文章」撰述の背景について当時の民衆の信仰状況を窺いながら検討する。これらを通して信心獲得、平生聞信を強調した蓮如の伝道の特徴を考察する。(査読有り) |