書名 | 単著・共著 | 年月 | 発行所、発表雑誌 (及び巻・号数)等の名称 | 編者・著者(共著の場合のみ) | 該当ページ数 | 概要 |
京都大学蔵貴重連歌資料集3 | 共著 | 2004年02月 | 臨川書店 | 編者:京都大学文学部国語学国文学研究室
共著者:小山順子・長谷川千尋・阿尾あすか | 493-535,619-635 | A5判・全658頁
本人担当部分:「住吉法楽千句翻刻」p493‐535,「住吉法楽千句の成立と伝本」619‐635
「住吉法楽千句」「住吉法楽千句の成立と伝本」を単著
大永元年十一月に三条西実隆、宗碩によって催行された『住吉法楽千句』の伝本の一つ、京都大学附属図書館蔵本の翻刻と解題。同千句の願主は細川高国とされてきたが、そうは考えにくいことと、京大附属本の本文は独自本文を有することを指摘した。
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『中世近世和歌文芸論集』龍谷叢書15 | 共著 | 2008年09月 | 思文閣書店 | 編者:日下幸男
共著者:安井重雄・阿尾あすか・長谷川千尋・長谷川薫・大谷俊太・岡本聡・藤本孝一・海野圭介・小高道子・日下幸男・西田正宏・神作研一・盛田帝子・久保田啓一・中川豊・加藤弓枝・万波寿子 | 24-49 | A5判、401頁
本人担当部分「風雅和歌集における烏―京極派的歌材をめぐる一考察」(p24-49)
「風雅和歌集における烏―京極派的歌材をめぐる一考察」を単著
『風雅和歌集』では烏を題材とした歌が他の勅撰集と比べ突出して多く入集している。烏は和文学の世界では雅的な物とみなされなかったが、漢詩文の世界では詩材として浸透している。『風雅和歌集』の烏の歌も漢詩文からの表現摂取により叙景歌となり得ている。一方で、『万葉集』や王朝文学の要素も取り入れており、漢詩的題材の烏を和歌的素材へと変質させる工夫を行っている。 |
伏見院 コレクション日本歌人選 | 単著 | 2011年06月 | 笠間書院 | | 全113頁 | 中世の京極派和歌の庇護者であり、代表歌人でもある伏見院の和歌三十七首の解釈を通じて、院の和歌表現の特徴と和歌思想について論じた。伏見院の和歌は、王朝古典文学や漢詩文を積極的に摂取した表現、独自の思想に基づいた繊細な自然描写が特徴である。京極派和歌は、法相宗の唯識思想を基としているが、院の場合はそこに神道的な思想が加わる。伏見院には強烈な正統意識と隠遁願望があり、院の思想や歌風もこうした内面に由来すると思われる。
A6判・全113頁 |
『鳥獣虫魚の文学史 虫の巻』日本古典の自然観3 | 共著 | 2012年01月 | 三弥井書店 | 編者:鈴木健一
共著者:鈴木健一、田中仁、室田知香、大井田晴彦、西山秀人、坪井陽子、横田隆志、植木朝子、高柳祐子、山本啓介、横山太郎、天野総一、阿尾あすか、有賀夏紀、金子俊之、牧藍子、牧野悟資、井上泰至、小財陽平、吉丸雄哉、佐藤至子 | 214-229 | A5判、373頁
本人担当部分:「蚊遣火を詠む和歌―「雅」と「俗」のはざまで」(p214-229)
「蚊遣火を詠む和歌―「雅」と「俗」のはざまで」を単著
蚊遣火は庶民生活に密着した素材であるため、和歌では配慮して詠む必要があった。喩えや景観の一点景として詠むなど、卑俗な生活実態の部分は切り捨てて朧化して詠まねばならない。蚊遣火は元来「俗」の性質を内包しているため、美を象徴化してゆく和歌では、常に「雅」「俗」のバランスに注意を払わなければならない。だが、「俗」の立場から「雅」をめざす俳諧には適しており、俳諧的題材であったと言える。 |
『中世詩歌の本質と連関』中世文学と隣接諸学6 | 共著 | 2014年09月 | 竹林舎 | 編者:錦仁
共著者:阿尾あすか、赤木俊介、植木朝子ほか多数 | 511-535 | A5判、全597頁
本人担当部分:「歌の家の継承と実践―京極為兼・二条為世を中心に―」(p511-535)
「歌の家の継承と実践―京極為兼・二条為世を中心に―」を単著
歌の家、御子左家は京極、二条の二家に分裂し、双方が正統性を主張した。京極為兼と二条為世の歌論を検討すると、為兼は詠歌態度についての庭訓を、為世は歌を詠む実践面での庭訓をそれぞれ継承している。歌学歌論の宗教的傾向を深化させたのが京極派、「道」の伝授を庶幾してゆくのが二条派であり、両者は中世文化のありかたと重なる。 |
高麗時代の公共性 1 | 共著 | 2016年06月 | 韓国学中央研究院出版部 | 編者:李禧柱
共著者:李禧柱,申福龍,李南姫,丁善溶,尹大植,魯炳浩,永原慶子,阿尾あすか | 191 | 全207頁
「日本宮廷文学の公共性ー「勅撰和歌集」という公共事業」(韓国語による翻訳)p191-207
勅撰和歌集21代集の撰集作業を公共事業として捉えた時、勅撰和歌集には二つの大きなタームポイントがあった。それは撰集作業が国家事業として意識された『新古今和歌集』、武家の政権が京都に移った時に編纂された『新千載和歌集』である。中世からの勅撰和歌集事業は、武家と天皇家との共同政権のバランスの上に成り立っており、そのバランスが大きく武家に傾いた時に破綻を迎えることを指摘した。 |
高麗時代の公共性2 | 共著 | 2016年06月 | 韓国学中央研究院 | 編者:李禧柱
共著者:李禧柱,申福龍,李南姫,丁善溶,尹大植,魯炳浩,永原慶子,阿尾あすか | 203-226 | 全226頁
「「家」という日本の中世的公共性についてー「歌の家」を中心にー」(韓国語による翻訳)p203-226
「公共性」という言葉の定義に立ち戻った時、日本の中世の社会は「家」の結合体で成り立っており、「家」そのものが公共性を帯びたものであったといえる。本論ではその見解に立って、中世の歌の「家」の継承のシステムについて概説した。 |
日記で読む日本史1 日本人にとって日記とは何か | 共著 | 2016年07月 | 臨川書店 | 編者:倉本一宏
倉本一宏、松薗斉、石田俊、佐野真由子、奈良岡聰智、久富木原玲、カレル・フィアラ、井上章一、富田隆、阿尾あすか | 201-230 | 四六判全276頁
「日記と和歌―『中務内侍日記』を例に」(p201-230)
『中務内侍日記』における和歌は、作者のつかえた伏見院の侍臣、女房達が、天皇に仕える者の集団としての精神的紐帯を確かめるツールとして機能している。結果的には私的、文芸的な記事とされる箇所においても、和歌は常に天皇を称揚するためにあるのであり、これまで分裂的と評価されてきた同日記ではあるが、和歌から読み解くと常に伏見天皇称揚ということで一貫しているのである。 |
アジア遊学223 日本人と中国故事 変奏する知の世界 | 共著 | 2018年09月 | 勉誠出版 | 編者:森田貴之・小山順子・蔦清行
共著者:大谷雅夫、黄一丁、濱中祐子、阿尾あすか、小山順子ほか多数 | 48-58 | 全271頁
「中世和歌における「子猷尋戴」故事の変容」(p48-58)
「子猷尋戴」は、和文学の世界では、伝統的な和歌の文脈で捉えなおされたり、原典の要素を一部切り捨てたりして変容して摂取されている。中世和歌においても、原典とは異なる、いにしえの風雅な交友の話として享受されてきた。漢故事も、歌人たちには、「王朝古典」として摂取されていったと考えられる。 |
古典文学の常識を疑うⅡ 縦・横・斜めから書きかえる文学史 | 共著 | 2019年09月 | 勉誠出版 | 編者:松田浩・上原作和・佐谷眞木人・佐伯孝弘
共著者:上原作和,阿部好臣,山中悠希,福家俊幸,高陽,中島和歌子,佐々木孝浩,伊藤禎子,阿尾あすか,ほか多数 | 126-129 |
本人担当部分:「京極派和歌の独自性とは何か」(126-129頁)を単著
京極派和歌の独自性について、文学史における同和歌の位置づけを行いながら論じた。 |